mirea 街を彩る ヒト・モノ・コトをつなぐ[ミレア]

2016.09.08

フォトグラファー 鈴木 知子さん

「変わっていく横浜を、自分の視点で撮り続ける。
街、そして暮らす人を写真で残していきたいです」。

時に鮮やかに、時に重厚感たっぷりに、見慣れた横浜の風景を切り取ってみせてくれるフォトグラファー鈴木知子さん。横浜で生まれ育ち、隠れたフォトジェニックスポットを知り尽くした鈴木さんの写真は、見逃していた街や物の魅力を雄弁に語りかけてくる。
そもそも鈴木さんがカメラを始めたのは高校生の頃。音楽が大好きでライブハウスに通ううち、アーティストの写真を撮るようになったという。「大学は写真大学の映像学科に進みました。写真の授業では現像も自分でするのですが、自分が撮った画像が浮き出てくるのを見た瞬間、なんとも言えない感動があって。それが写真の道に進む一番のきっかけになりました」。
フォトグラファーとして25年以上のキャリアを持ち、撮影や写真講座などで全国を飛び回る鈴木さんだが、撮影の拠点はやはり横浜。「街の記録として、自分にしか撮れない『横浜』を残していきたいと思っています。撮りたいものは変わるかもしれませんが、横浜を撮りたいという思いは変わらないと思います」。


横浜市出身。東京工芸大学短期大学部卒業後、広告撮影プロダクションに入社。写真家・柳瀬桐人氏ほかのアシスタントを経験し、アパレルなどのコマーシャルフォトを中心に活動。ライフワークの横浜を中心としたスナップ写真を、ブログにて毎日展開。『すずちゃんのはじめてのカメラとレンズ』(2015)など著作も多数。


愛用のカメラとレンズたち。撮影に出かける時は常にフル装備で、愛用のカメラリュックを背負って出かける


バッテリーや記録メディアはかわいらしいポーチやケースに入れて持ち運ぶ。


わかりやすい語り口の著作は人気が高い。みなとみらいのBUKATSUDOや波止場の写真学校横浜校では講師も務めている

鈴木知子さんインタビュー
いつ頃、どんなきっかけでカメラを始められたか教えていただけますでしょうか。
「高校生のころライブが好きで、ライブハウスによく行っていたんです。アーティストの写真を撮りたくて、コンパクトカメラを買ったのが一番初めのきっかけでした。学校の勉強はあまり好きではなくて(笑)、テレビや映画に興味があったので、写真大学の映像学科に進学しました。入学した短大にはライブ写真がたくさん飾ってあって、やりたいことができるかなと思ったんです」。

入学してみていかがでしたか。
「映像学科にもスチール写真の授業があり、一年間学んでみて、写真の方が自分に向いているなと思いました。映像にはチームで動く面白さがありますが、スチールは自分の思った世界を突き詰めることができる。そこに興味を持ちました。
当時はフィルムの時代で、現像の工程があるわけです。暗室で現像すると、自分が撮った絵が浮かび上がってくる。薄暗いし、現像液などの匂いもキツイんですが、でも像が浮かび上がるところを見たら感動して。その感動が忘れられなくて写真の道へ進んだ、というのが一番シンプルな答えかもしれません」。

卒業後は広告撮影プロダクションに就職なさったと伺いました。
「やりたいことが多すぎて、就職先は悩みました。学生時代はライブハウスを飛び回ったり小劇団のスタッフをやったり、イベントに関わることが多かったんですね。バブルが弾ける直前で、就職しなくてもなんとかなるかという余裕もありました。ただ、その頃には、写真を勉強しているから写真の道しかないなと。いくつかの会社の入社試験を受ける中で、イベントや映像なども手広くやっている広告制作会社に入社が決まりました」。

新人時代はやはりお忙しかったですか?
「カメラマン付きのアシスタントとして、ライティングの補助やカメラ周りの操作が主な仕事でした。絞りだとかシャッタスピードだとかカメラの設定を私がして、カメラマンがシャッターを切る。責任は重かったです。フィルムでしたし、厳しく怒られることもありましたね。でも今思えば、一番大切なところに関わらせてもらったのかなと感謝しています。要領がよくなかったので怒られることが多くて、入社3日目でやめたくなって、三週間でやめたくなって……と3のつくタイミングでやめたくなっていましたが(笑)」。

そのプロダクションには何年お勤めなさったのでしょうか。
「16年勤務して、アシスタントからカメラマンになって…というステップを全て経験させていただきました」。

カメラマンとしての経験はそこで積んだと。
「はい。でも辞めてすぐにフリーになる自信はなくて。ある程度、営業というかプレゼンテーションはできるようにはなっていたんですが、まだ自分の写真に自信もなかったですし。それでwebショップを中心に展開するアパレル会社のスタジオに就職したんですね。
もともとファッションが大好きで、いろいろなクライアントでやっていましたし、女性だからとコスメやアパレルの仕事が多くなっていました。好きなことができるならいいやとアパレルに入りました」。

また新たなチャレンジの始まりですね。
「それまではいろいろなクライアントを相手に仕事をしていましたが、これからは自社のwebショップで掲載する写真の撮影だけになるわけです。売上を見ながら撮影をしなければいけないし、お金という面では学びの場。流通なのでスピード勝負。今までとは全く違う現場でした」。

アパレル以外のものを撮りたいという気持ちはなかったですか?
「ありましたね。社内の人としか接していないし、知り合う人に広がりがない。外の空気に触れていないから、今、世の中で何が主流なのか、写真業界の流れが見えなくなってきていました。何年か経つと、井の中のカワズ状態に焦りを感じるようになっていました。
それで、その頃フォトブログを始めたんです。広告写真の世界では自分の意思より、クライアントの意向や商品が売れるかを優先することが少なくありません。自分の好きな世界は封印しないといけないこともあり、そういった中で自分の表現を忘れてはいけないと思ってフォトブログを始めたんです。それから作家としての道を少しずつ歩くようになっていったんですね」

そのフォトブログ「すずちゃんのカメラ!かめら!camera!」は、今では一日600人以上のアクセスがあるという大変な人気ぶりですね。
「最初は誰にも言わずこっそり始めたんですが、まず写真愛好家が目をつけてくれて、一ヶ月ぐらいでアクセスが上がってきて。ブログランキングに入ったことで一気に火がついて、写真分野で一位になりました。それがブログを初めて3か月ぐらい経った頃でした」。

作家としてやっていく自信にもなったのではないでしょうか。
「その頃、書籍出版の話が来たりして、サラリーマン生活最後の3年間は副業をしながらの会社勤めでした。作家としてやっていく自信にも繋がりましたね」

フリーランスになった当初は、どんな活動をなさっていましたか ?
「最初はヒマでしたね(笑)。徐々に書籍出版の話が決まったり、セミナーに呼んでいただいたりして、バタバタと忙しくなっていきました。もともと物を書くのがすごく好きで、そういう意味では良い方向へシフトできてよかったなと思っています」。

現在の活動は、撮る・教える・書くの3本柱ですね。
「撮るということを絶対におざなりにしてはいけないので、フォトブログも毎日必ずやっていますし、撮り続けるということは筋を通したいと思っています。一番楽しくもあり、苦しくもあるところですね」。

ブログは休んだことはないのですか ?
「途中で公言するんですね、一年365日更新しますと。ただ、母が一週間ほど入院した時期がありまして、その時はお休みをしました。多くの人に『何があったんだろう』と心配させてしまったこともあり、それからは休まず続けています。インフルエンザの時も休まず更新し(笑)、もう6、7年は続けています」。

フォトグラファーとしてのお仕事も、もう25年以上になると伺いましたが、途中で辞めようと思われたことはなかったですか ?
「アパレルの会社に転職するときに少し考えました。最初の会社である程度作品を残していたこともあり、区切りをつけようと思ったんです。自分に勘違いしていて(笑)、写真以外にも何かできるんじゃないかと思っていた。撮影と取材、記事執筆を全部やるような仕事もいいなと思って転職活動もしたんですが、ことごとくダメで、自分には写真しかないんだと気づくわけです(笑)。私フォトグラファーしか道がないんだと(笑)」。

意外なお話にビックリしました。でも、先生のファンとしては安心もしました(笑)。
「好きなことだけ、写真だけをやっているとプレッシャーで辛くなるかもしれませんが、今は教えたり本を書いたりという他の仕事もすることで、ちょっとだけ肩の力を抜いて写真とも付き合えているのかなと思います。そういう意味では、理想とする方向に向かって行っているのかもしれません」。

最終的に突き詰めていきたい世界としては、何かお考えになっていることはありますか。
「目の前のものをキレイに、整然と撮るという広告写真に慣れてしまっていて、自然体の被写体に憧れます。作り込まない世界に今は興味がありますね。以前はモデルに自社の服を着せて美しく撮るのが仕事の軸でしたが、今は普通に生活している人の素顔を撮りたいと思っています。
それから、自分がいる街・横浜も撮り続けていきたいですね。本牧の再開発とか米軍住宅とか、開発されて変わっていくのがわかっているのに撮らなかったことがあり、後悔があるんです。街の変化は激しく、気づいたら変わっていたということも多いので、自分なりの視点で残していきたいと思っています。年齢とともにどんどん撮りたいものは変わっていくかもしれませんが、横浜を撮りたいという思いはずっと変わらないと思います」。

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