mirea 街を彩る ヒト・モノ・コトをつなぐ[ミレア]

優美で抜群の品質力!日本初の石鹸は横浜から

磯右ヱ門SAVON 各648円

石鹸が初めて日本で作られた場所、それは横浜であるのをご存知でしたか?

誕生は幕末まで遡ります。ペリー来航で国内が沸き立つなか、天保4年(1833年)に磯子村(現・磯子区)に生まれた堤磯右ヱ門(つつみ・いそうえもん)がフランス人技師ボイルより、石鹸の製法を伝え聞き、石鹸製造に奮闘したことからはじまりです。

15歳で父を亡くし、若くして名主を継いだ磯右ヱ門。21歳の時にぺリーが来航し、その事件は磯子村のすぐそばで起きました。好奇心旺盛だった磯右ヱ門は、黒船の絵や黒船来航字のことを日記にもつけ、記録に残していたようです。

そんな磯右ヱ門が30代を迎えた頃、幕府がフランスの技術支援を受け、横須賀に造船所を建設し始めます。磯右ヱ門は、横須賀製鉄所で工事監督に任命され、そこで、初めて石鹸と出会うこととなります。

「シャボン」と呼ばれた当時の石鹸は、日本人(庶民)にとって初めて見る、びっくりな代物でした。というのも、当時の日本人は、入浴の際に垢をこすり落とすぐらいで、体や服についた汚れもさしてきれにならないのが普通だったからです。ところがフランス人技師だちは、造船所で働いたあと石鹸を使って手をキレイにしているわけで…。それを見た磯右ヱ門は、これだ!とひらめいたのでしょう。

知り合ったフランス人ボイルから製造方法を聞き、いざ開発に乗り出すも、完成にいたるまでの道のりは決して容易ではなかったようです。資材を投じ、巨額の借財までして破産状態で、試行錯誤を繰り返した石鹸開発。やっと完成・製品化されたのは1873年のことだそう。

その石鹸の出来栄えはとても素晴らしいもので、石鹸に施した牛や蜂といったレリーフはとても美しく、パッケージも自ら描くという凝りよう。使い心地抜群で、海外製品にも勝るとも劣らないということで、海外からの需要も多く、製品の多くが輸出されたそうです。

そんな、見た目も美しい石鹸、残念ながら磯右ヱ門の子供が皆女性だったこともあり、継ぎ手がいないということで、事業は一代でストップしてしまいます。現在の横浜市南区にあった磯右ヱ門の石鹸製造所はたった一代で終わってしまったのは、とても切ないものがありますね。
ですが、、磯右ヱ門スピリッツを引き継いだ職人たちが全国各地に散らばり、石鹸造りを続けて広めていったというのは何ともステキなお話。その職人の1人は、花王のルーツだとか。

磯右ヱ門が造った幻の日本初石鹸が近年復刻を果たしました。それが『磯右ヱ門SAVON』です。美しいレリーフは、当時使われていた金型から再現し、オシャレな箱に描かれている絵は、堤家に残されていた当時の包装紙のデザインです。

また、見た目のオシャレさだけでなく、製造方法にもこだわりが。通常石鹸は植物性の脂を使うことが多いのですが、手の脂に近いとされる牛脂を主成分に使用。昔ながらの製法で丁寧に1つずつ作られています。石鹸製造を担当したのは、「玉の肌石鹸株式会社」。

“母の残り香”をイメージした懐かしくもほっとする香りの『磯右ヱ門SAVON』。横浜で誕生した、そのストーリーと共に、お土産やプレゼントにお持ち帰りしてみてはいかがでしょう?

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株式会社エクスポート

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