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「エスコーラ・ヂ・サンバ・サウーヂ」代表 石山和男さん

「横浜といえばサンバ」
そんな存在になりたい


今年、結成30年を迎えた横浜発祥のサンバコミュニティー「エスコーラ・ヂ・サンバ・サウーヂ」。ポルトガル語で「学校」を意味する「エスコーラ」という言葉には、代表・石山和男さんをはじめメンバーの思いがこもっているという。「ブラジルでエスコーラとは、地域を代表するサンバの学校のことです。ここで音楽や文化をはじめ、国や地域のルーツなどを学んでいくんですね。僕たちも横浜で生まれたサンバ学校でありコミュニティー。地域のお祭りなどにも参加して、横浜の文化の一つになりたいと願っています」。
そのサウーヂの一年で一番の見せ場と言えるのが、今年は8月29日に開かれる「浅草サンバカーニバル」。2010、12年には優勝した経験を持ち、この夏も栄冠を狙う。「今年は『オブリガード』をテーマに、サンバと出会ったことへの感謝を伝えたいと思っています。また、『野毛ジャズde盆踊り』(9/13出演)など横浜のイベントにも参加しますので、ぜひ見に来ていただきたいですね」。


©BANKOU GOJO


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石山和男さんインタビュー
まずはサウーヂの自己紹介的なところ教えていただけますでしょうか。
「『エスコーラ・ヂ・サンバ・サウーヂ』の『エスコーラ』とは学校の意味で、ブラジルでは「サンバチーム」とは言わないんですね。一つの地域を代表するサンバの学校なんです。そこで文化だとかブラジル音楽だとか、ブラジルという国や地域のルーツなどを学んで地域のために活動していく……というわけなんです。僕たちも横浜を代表するサンバ学校であって、コミュニティーだと思っています。ただ音楽だけをやっているわけではなくて、地域のお祭りだとか横浜全体に関わっていって、文化の一つとして組み込まれたいと願っています」

現在、活動しているメンバーは何人ぐらいですか?
「常時いるのは100〜120人ぐらいかな。夏になって季節で参加する人間が少しいて、180〜200人ぐらい。浅草サンバカーニバルになるとフルスケールで、スタッフも含めて総勢約300人になります」

そんなにいらっしゃるんですか!日本国内のエスコーラとしては大所帯ですよね?
「そうですね、大型エスコーラだと思います。日本全国サンバの集団っていっぱいあって、浅草サンバカーニバルも大規模チームの「S1」と、中型から小型の「S2」とに分かれていまして、僕らはS1に属しています。僕らと同じフルスケールの出場団体は5つか6つあるんじゃないかな」

エスコーラ内の役割分担はどんなふうになっているのでしょうか。
「パフォーマンスとしては打楽器隊、それは弦楽器や歌、作曲者なども含みますけれど、そういうチームと、それ以外のダンサーたちですね。ダンサーの中にはビキニで羽を背負ったソロダンサーや伝統的な衣装をまとった年配のダンサー、旗持ちや旗持ちをカードする人、子どもたちもいます。また、「アーラ」といってテーマを表現するための衣装や振り付けをしているグループもあります」

華やかな衣装で羽を背負って踊っている女性のイメージが強いので、そんなにたくさんの役割があると伺って驚きました!
「日本ってサンバをそういうものにしてしまったんですね。サンバって言うと打楽器があってほとんど裸のお姉さんが出てきて……って。僕らもそれはやりますが、許す限りコミュニティーとしての見せ方をしようと思っています。例えば時々、イベントに出演させてもらった街の人から「サンバのビキニのお姉さんたちはうちのイメージに合わないんじゃないか」っていう声もあるらしいんです。けれども「僕たちのパフォーマンスは子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで参加して、その中にビキニのダンサーが組み込まれているんです」という説明をしてパフォーマンスを見てもらったら、「この街にぴったりだね」と。お互いのニーズが合った時はうれしいですね」

作曲家のお話が出ましたが、曲もオリジナルで作られるんですか?
「そうです」

ブラジルの既存の音楽ではなく、その年のテーマに合わせて作られるんですね。
「僕たち1986年に初めて浅草サンバカーニバルに出たんですけれど、3年目の89年にはもうオリジナル曲で出てたんですね。ポルトガル語でのオリジナルを作って出たのは僕たちが多分初めだと思うんです。人数が40、50人と少なくても本場と同じようにやりたいという気持ちがすごくあって、曲を作ってテーマを作って出場しました。それ以降、毎年のテーマに沿って曲を作り、1年かけて育てていく。そして、その最終的な勝負どころが浅草サンバカーニバルということでやっています。
そういうのにすごく夢中になってしまって、毎年すごいんですよ(笑)。候補の曲が7曲、8曲出るんですが、今年はなんと11曲も出て、(サウーヂ内での)コンテストを2回にわけてやりました。録音してインターネット投票でね。ホント燃えますよ。そのコンテストのために生まれた曲ですから、そこで選ばれなかったら、もう演奏される機会がないわけです。11曲候補があったら10曲落とす作業なんですね。なので、決勝で1曲が決まった後、みんなで飲みに行った時に選ばれなかった曲の供養をするんです。
浅草サンバカーニバル自体もね、300人分の衣装を作りあげて山車も皆で作って、一年かけてやってきたものが一日で消えてしまうという。それがお祭りですし、そういうことが日々続いているということですね」

8月に浅草が終わったら、すぐに次の準備が始まってと続いていくんですね。
「そうですね、まずはテーマを決めるところから始まります。次はシノプス(ストーリー)に入っていって、ビジュアル的にどういう表現をしようかというプレゼンテーションがあって、ほぼ同時にシナリオを表現する歌詞ができていくと。その歌詞をもとに候補の曲ができて、ブラッシュアップしていきます。コンテストにかけてテーマ曲の1曲が決まるんですね。一方、衣装の制作はサンプルをアップしていって、20ぐらい衣装ができるんですが、それぞれ何名分作ろうかと。予算を考えながらどこで調達しようか、羽はブラジルから取り寄せようとかとか決めていきます」

レコード会社勤務を経て、
ブラジルをめぐる旅へ

サウーヂに石山さんが入られたのはいつごろですか?
「浅草に2回目に出た年ですから87年です。86年が立ち上げで、僕がレコード会社にいた時代の仲間が始めたんです。いわゆるブラジル業界の若い仲間が横浜の仲間に声をかけてサウーヂを作ったんですね。僕も声をかけられたんですが、ちょうどブラジルに行っていまして、帰ってきてすぐに入りました」

ブラジルにいらした経験がサンバにはまるきっかけですか?
「ブラジルのポピュラー音楽っていうのはめちゃくちゃかっこよくて、それに惚れてブラジルに行ったんですね。なので、(当初は)サンバっていうのは古くさくてたまらなかったんです。でも現地で、いかに必死か、いかに思い入れが強いのかというのを感じた瞬間にたまらなくなって」

サンバの古くさいイメージが変わったと。
「変わりましたね。サンバのコミュニティーに入っていくと、そこはインディペンデントな独立国家(のような存在)で平和が守られていて、その中に泥棒や殺し屋がいても平等で、みんなで音楽をやって酒を飲んで食事して語り合って、恋人たちは愛し合って、子供たちは遊んで……というコミュニティーの豊かさに感動しましたね」

さきほど「レコード会社」というお話が出ましたが、以前は音楽ディレクターをなさっていたそうですね。
「そうです。僕はジャクソン・ブラウンという人がすごく好きだったんですけれども、ロサンゼルスとかアメリカ中西部の音楽が大好きで。バンド活動もやっていましたが、それで食っていくわけにもいかないし、そうした時にちょうどレコード会社で募集をかけている時期だったんです。当時CBSソニーがエピックソニーという会社を立ち上げた時で、その大卒1期生として入社して、宣伝やったりディレクターやったり。そのときも英米の音楽をやっていて、歌モノが好きだったんです。
そうした時に突然スペインのフリオ・イグレシアスという歌手を任されることになって、「満を持して日本デビューさせる」と。かなり前にデビューしたことはあったんですが、その時は鳴かず飛ばずで、もう一度やってみたらば大当たりしまして……。初めて海外に行ったのがマイアミだったんですけれども、とにかく出張っていうとフリオが住んでいるマイアミに行くわけです。マイアミはラテン音楽の中心地というか基地みたいなところですから、サルサはあるわマンボはあるわすごい世界で。ラテン人にも初めて出会って、彼らは毎日を楽しく生きる天才なんですね。本当に英米の人たちとは全く違う価値観をもっていて、すごく気が合ったというか。それをやり続けていく中でブラジル音楽に出会ったんですね。
ジャヴァンという人とシモーネという女性歌手なんですけれども、 二人とレコード会社時代に出会って、なんてカッコイイ音楽があるんだと思ってデビューさせたんです。その時にブラジル音楽が大好きになっちゃって。そして彼らを(日本に)呼ぶことができて、生音を聴いたり人物を知ったりして、ますます好きになったんですね。ものすごいプレーヤーなのにステージを降りるといばらないし、肩組んで一緒に酔っぱらったりして、でもステージにあがるとスゴいんですよ。僕がそれまでつき合ってきた英米のミュージシャンにはいなかったタイプだったんですね。(英米のミュージシャンには)プライドもありますし、契約内容にもどういうレストランで食事をするとか、全部入っているんです。でもブラジルのミュージシャンはそういう人たちじゃなくて、食事をした後に「いくらだ?」ってお財布を出すんですよ。もう、信じられなかったですね。それで、「なんだ、このブラジル人たちは」と思って、ブラジルに行きたくなったんです。当時は会社を長期休暇なんてできませんから、辞めちゃおうと。それでブラジルに行って」

辞めるってすごい決断ですよね。
「もったいない、という思いもありましたが、自分が描いていた部分と違う面もあって、僕が描いていた音楽の世界がブラジルやラテンの音楽の中にあったんですね。もちろん今でも英米の音楽は好きですけれども、けれども自分が仕事として取り組みたいのはこういう(ブラジルの)音楽だったんだなと思いますし、あの時辞めて全然悔いはなかったし、今みんなと一緒にやれて幸せですよ」

それで念願かなって、ブラジルに長期でいらっしゃったと。
「最近はサンパウロのサンバカーニバルも大きくなりましたが、そもそもサンバカーニバルというのはリオデジャネイロのものなんですね。キリスト教のお祭りで謝肉祭の前の大騒ぎという感じなので、全土的なものではあるんですが、みんな音楽のスタイルが違うんです」

いらっしゃった時はリオのカーニバルを見るのは目的の一つでしたか?
「当初はそんなにサンバに興味がなかったので、「行ったら見てみようか」ぐらいの感じでした」

実際にご覧になったのは、ブラジルへ渡って何ヶ月後ぐらいだっのでしょうか。
「えーと、半年ぐらいだったかな」

そこで、サンバが好きになって、ブラジル音楽への思いがさらに変わったと。ブラジルを巡るたびの後半は、サンバの旅となったのでしょうか。
「僕はバイクでずっとブラジル全土を回っていたんですね。サンバってリオ以外そんなにないんですよ。その土地土地の音楽になっちゃうので」

では、いろいろな土地をまわって?
「ブラジル人たちの一般家庭に入るのが僕の旅のテーマだったんですよ。日本の25倍広い土地を400km、500kmとバイクで走って、見ず知らずの街に入ると、とりあえず良さそうな酒場に入ると。そこで飲んでいると日本人だということで、周りは興味しんしんなわけです。で、誰かが話しかけてきて、僕が習ったばかりのポルトガル語で答えると、もう大変(笑)。たいてい「今日どこに泊まるんだ?」と聞かれて「まだ決めてない」とか「さっきホテルに予約した」と言うと、「いや、俺んちに泊まれよ」と。家についていくと台所に案内されて、「冷蔵庫の物は何でも好きに食べていい。この冷蔵庫はお前のための冷蔵庫だから」と(笑)」

すごい歓待ぶりですね!
「それで2、3日経って次の街に行くとなると、「その街には知り合いがいるから、俺の免許証のコピーを持っていってくれ」と言うんです。それは、免許証のコピーを持っていけば「コイツは俺のファミリーだから」という証明みたいなものだと思うんですけれど、それを持ってその街へ尋ねていくと「おお、そうか!うちに入れ、入れ」となって、また歓迎してくれるわけです。そういうブラジルの普通の人たちの中に入りたくて、旅をずっと続けていました。今、ブラジル音楽を歌ったりエスコーラサンバで表現したりしても、そういうブラジル人のニュアンスを伝えることができるのは、その時に得たことだと思うんですね」

そういう旅をほぼ1年間続けて、帰国されてからはすぐサウーヂに入られたのでしょうか。
「はい」

その30周年にあたる今年は、浅草サンバカーニバルが8月29日に開かれますね。
「今年のテーマは「オブリガード」(ポルトガル語で「感謝」)です。ブラジルやサンバに出会って人生が変わったというか、出会えたことへの感謝をみんなに伝えたい、というのが今年のテーマです。30周年ということになりますと、12月23日に大さん橋ホールで30周年感謝祭というイベントをやります」

最後に、今後の夢や目標などを教えてください。
「今年は僕たちがエスコーラをやる上で模範としているリオの「マンゲイラ」という伝統的なエスコーラがあるんですね。そこが本当に多く優れた詩人やミュージシャン、プレーヤーを排出したコミュニティーで、僕らは音楽的なスタイルやチームカラーなどを踏襲していまして、そうすることでうまくなっていこうと思っているんです。プレーヤーレベルではやりとりがあって、向こうに研修生を送ったり、自費で訪ねてワークショップに入れてもらったり。2013年には初めて向こうの現役のダンサーと打楽器のプレーヤー2人が僕たちを訪ねてくれて、感動の出会いがありました。「日本にマンゲイラと同じようなチームがあったんだ」と感激してくれて、音楽を聞いた瞬間に手放しで泣くぐらいで。そのまま浅草に一緒に出てもらったりしたんです。そこまでの交流はあったんですが、さらにステップアップしたいと思いまして、マンゲイラの運営陣を日本に呼んでサウーヂを知ってもらおうと。サウーヂ30周年に加わってもらおうとリクエストしたんです。そうしたら快諾してくれて、今年はそれが実現するんです。太いパイプでマンゲイラとお付き合いしていくというのは長年の夢でした」

大きく叶う時が今年30周年の節目と。
「知らない人から見たら、ただの太ったおじいちゃんなんですけど(笑)、僕にとっては神様みたいな人なんです」

何月にいらっしゃるんですか?
「浅草サンバカーニバルの直前ですね」

楽しみですね。
「はい。音楽的、エスコーラ的にマンゲイラに向かっていく方向で、横浜の文化の中にサンバとして入っていくのが願いというか、ずっと変わらないですね。横浜といえばロックやジャズ、ブルースのイメージが強いんでしょうが、その中に髪の毛一本でもね、加わりたいと思っています」

石山さんが歌うサウーヂのテーマ曲はこちら!

エスコーラ・ヂ・サンバ・サウーヂ

横浜で生まれ、成長してきたサンバのコミュニティー「エスコーラ・ヂ・サンバ・サウーヂ」。代表の石山和男さんも横浜市出身。レコード会社のディレクターとしてブラジル音楽と出会ったのを機に、退職して単身ブラジルへ。約1年間旅する中、リオのカーニバルでサンバと運命的な出会いを果たす。帰国後、結成まもないサウーヂに参加。現在、代表を務める。

  • ショップ・スポット名
    エスコーラ・ヂ・サンバ・サウーヂ
  • 住所
    横浜市中区

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