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お囃子の伝統を後世に伝えたい!神楽師・倉谷仙太郎さん

誰でも参加できる場を作り
お囃子を後世に残したい

獅子舞やお囃子、和傘の上に物を乗せてクルクル回す曲芸などを披露する太神楽(だいかぐら)。江戸のころより各地に広まったこの伝統芸能を受け継ぐ神楽師・倉谷仙太郎さんはさまざまな演目で客席を沸かせ、時には指導する「横浜やっしゃ鯛」のメンバーと共にステージに立つ。
さらに倉谷さんは、ジャグラー「マサヒロ水野」、江戸曲独楽師(えど きょくごまし)「三増左紋」の名前も持つ一流のエンターテイナー。「もともとのスタートはジャグラーで、アメリカに行った時『どうして日本のトラディショナルな芸をやらないのか』と言われたのがきっかけとなり、神楽と独楽の師匠に弟子入りしました」。
神楽師としては、後世への継承にも力を入れ、約20年かけて独自のお囃子譜面を整えた倉谷さん。「かつてお囃子は神社の氏子や町内だけで受け継ぐものでしたが、それでは伝統が途絶えてしまいます。僕はあえて「地域に根ざさないお囃子会」としてどなたにでも教え、後の世に残す活動もやってきたいですね」。


演奏する倉谷さんと横浜やっしゃ鯛のメンバー


独自に考案されたお囃子用の譜面。記者も体験してみたが、初めてでもすぐに楽しく演奏できた


三増左紋の名で、曲独楽も披露する。大人も思わず夢中になるその芸は、動画で公開中!

倉谷仙太郎さんインタビュー
まずは現在なさっている活動を教えていただけますでしょうか。
「仕事で頼まれればどこへでも行ってステージをやらせていただいています。ピンでは独楽とジャグリングですね。神楽や祭囃子は一人ではできませんので、教えている「横浜やっしゃ鯛」の皆さんや星川杉山神社の「明神神楽会」の方と、神楽や祭囃子をやったりパーティーのアトラクションで獅子舞をやったりすることもあります。単発でワークショップをやることもあります」

お囃子といいますと、舞を舞う人の後ろで演奏するイメージですが。
「そもそも神楽囃子と祭囃子は性質が違うんですね。神楽の舞に付けるのが神楽囃子。祭囃子は基本演奏のみ。もともと職業としてやっていた人たちが『神楽』、地元の町内の氏子さんなんかがお祭りで演奏するのが『祭囃子』なんです」

プロとアマチュアみたいなことでしょうか?
「それともちょっと違うんですね。昔の神楽師というのは、祭囃子は演奏しなかったといわれています」

神楽と祭囃子の違いをもう少し教えていただけますでしょうか。
「神楽とは神社に付随する、ある意味「布教活動」っていうのでしょうか。そういうと、すごく宗教っぽくなってまた少し違うかもしれないのですが、「古事記」や「日本書紀」なんかに出てくる神様のお話を分かりやすく面白おかしく、例えば仮面をつけて演じたりすることで昔は信仰を広めたということがあったんだと思います。
一方、祭囃子は祈りというより、お祭りを賑やかす存在で、昭和の初め頃まで神楽師は祭囃子はやっていなかったようですね。ただ、お神楽でも笛や太鼓(神楽囃子)をやっていますので、「それなら祭囃子も」と言うことで、次第にやることが増えたと最近では言われているようです」

倉谷さんはどちらも教えていらっしゃるんですか。
「はい。太神楽(だいかぐら)というのは聞いたことがありますか?染之助染太郎師匠の傘の芸がありますが、あれが「太神楽」なんです。太神楽師がどういう人かといいますと、江戸時代、伊勢神宮や熱田神宮に属する太神楽師がご神体である獅子頭を持って、江戸の町の家を一軒一軒回ったそうなんです。なぜそういうことをしたかというと、当時は一生に一度はお伊勢参りや熱田参りをしたいという習慣があったわけですが、行くためには大変な費用と日数がかかる。それで、行かれない人のためにデリバリーシステムじゃないですけど、獅子頭を持って回ったわけです。その際に余興として、曲芸を見せて楽しんでもらったり、漫才の原型である「滑稽かけあい」を披露したりして、また自分たちの神社に戻っていったというのが太神楽師という存在なんですね。
僕はもともとジャグラーが始まりなのですが、海外に行った時に「どうしてお前は日本人なのに西洋の芸をやるんだ。日本にはそういう芸がないのか」と言われたんです。それで、海外に行った時に披露できたらいいなと思って傘回しや独楽の曲芸を始めました」

和物の曲芸を教える場は少ないですが、どういうところで勉強なさったのですか?
「僕らプロの世界は弟子入りです。教室みたいにお金払ったら教えてもらえるということではありません。落語家さんなんかも弟子入りでしょ」

最初はどういうことから始めるんですか?
「最初に入門した独楽の場合は、師匠から道具を渡されて「回してごらん」と」

できるものですか?
「できません(笑)。一個ずつできるようにしていくという感じかな。20分ぐらいの舞台ができるようにネタを覚えるには3年から5年ぐらいはかかります」

ジャグラーをめざした修業の日々

お子さんのころから人を喜ばせたり、目立つのがお好きだったのでしょうか。
「つい『そうです』って言っちゃうんですけどね(笑)、実際のところ、実の父親が僕が生まれて3ヶ月の時に亡くなっているんです。その父が手品を趣味でやっていたらしいんです。うちのおふくろと出会ったのも手品がきっかけで。そのころの本や道具がうちにいっぱい残っていたので、子どものころからよく見たりしていました。ですからね、(曲芸を目指した理由は)そういう血が騒ぐんでしょうね……としか言えないんですよね。テレビ番組も「花王名人劇場」とか欠かさず見ていました。手品やサーカスが来ると必ず見に行く子どもでしたね。
会社勤めをするようになってから、本格的にマジシャンになろうと当時住んでいた名古屋で先生について練習していました。それで勤めを辞めてプロになろうかと思って、有り金全部持ってアメリカとヨーロッパ、北欧を回ったんです。当時「なるほどザワールド」というテレビ番組が人気で、トランプマンという人が出ていたのですが、この人はプロのマジシャンで世界中のマジックの道具を輸入したり、自分で開発したりという仕事もしているんですね。僕は古い知り合いで、トランプマンが海外へ行く時に頼み込んで一緒に連れて行ってもらったんです。世界にはどんなすごい人がいるんだろうとか、どんな面白い道具があるんだろうとワクワクしながら行ったら、マジックショーの合間にジャグラーという人たちが出てきた。ホントに種も仕掛けもない道具だけで、飛び抜けて光る芸をする人たちがいたわけ。それで、(自分がやりたいのは)「あ、こっちだ」と。さっそく当時買える道具や本、映像資料を買い集めて独学で練習を始めました」

ジャグリングは最初なにから練習なさったんですか?
「ボールですね。アメリカのレクチャービデオがありましたから、それを参考に。ビデオをこま送りで再生しながら、ボールや手がチッチッチッと動くのをテレビ画面にホワイトマーカーで書き込んだりしてね(笑)。複雑なワザだと一週間以上かけて覚えました」

覚えられた時の喜びは大きいですね!
「曲芸の面白さって、結局そこなんですよね。独楽回しもそうだけど、できなかったことができるようになった時が嬉しいですね」

やればやるほど身に付いてくるというか。
「百発百中ということはないですし、舞台でどう見せるかも大事ですしね」

お囃子・神楽を後世に残す活動にも力

話が最初に戻りますが、それでジャグリングと神楽、江戸曲独楽の三足のわらじをはくことになったと。今日は神楽師・倉谷仙太郎さんとしてお話を伺っていますので、祭囃子についてもう少し伺いたいのですが、祭囃子というのは地域によって異なるものなのでしょうか?
「基本形は同じだと思っていいです。もともと関東の五人囃子と言われているものは東京の葛西で始まったと言われています。江戸時代、神田の人が葛西で習って神田へ持ち帰ったら「神田囃子」になり、そのままやったんじゃつまらないというので少しアレンジして……と。さらに葛西や神田で祭囃子が盛り上がっているからと目黒の人も習いに行って、また広まって……ということです。だから基本は同じなんだけど、それぞれの地域でちょっとずつ変わっているんですね」

極めると聞き分けられますか?
「そうなったら面白いでしょうけど、なかなか難しいでしょうね。例えば有名なシェフに料理を習っても、それぞれの家庭によって少しずつ味付けが変わっていくでしょ。「うちはこっちの野菜の方が好きだから、ちょっと変えよう」とかね。それと同じことだと思ったら分かりやすいんじゃないかな」

なるほど!奥が深い分、習う側も教える側も大変ですね。
「祭囃子や神楽が難しいのは、基本的に教えないこと。そもそも町内会や神社の氏子以外には教えないものなんですよ。プロの世界も弟子入りしないと教われないですし。でも、僕はそういうことに疑問を持っていて、あえて「地域に根ざさないお囃子会・神楽会」をやっているんです。やってみたい方はどなたでもどうぞ、と。そこが異質でしょうね」

教える上で難しいのはどんなところでしょうか。
「日本の物は譜面を使わないんですよ。口伝ていってね、太鼓の音を言葉で「テンテケテン」とか、笛の音を「ピーヒャラピーヒャラ」とか、言葉で歌ったものを伝えて教えていくと。つまりは耳コピーですね。特に笛は難しくて、僕は自分が習い始めた時から、そのやり方では覚えることはできても伝えることは難しいんじゃないかと思っていました。それで、譜面を残せば地域に祭囃子や神楽を残せるということを文化庁や県に申請しまして、独自の譜面を整える仕事をしたんです。こういう活動も20年ぐらいやっています。後の世に残す仕事は、これからもやっていきたいですね」

有限会社 遊び屋

神楽師・倉谷仙太郎、江戸曲独楽師・三増左紋、ジャグラー・マサヒロ水野と3つの名前を持つパフォーマー。名古屋市に生まれ、横浜市在住。地縁がなくても気軽に参加できる神楽の教室を主宰し、次世代への伝達にも力を入れている。出演依頼などは有限会社 遊び屋へ。

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