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自然素材の住まいをつくる人●家匠 神崎政昭さん

嫌い続けた家業
ひょんなことから跡継ぎに

 横浜山手で建設業に携わって60年余になる有限会社神崎。三代目社長の神崎政昭さんは自然素材にいち早く注目し、健康を考えた注文住宅を手がけてきたパイオニア的存在だ。

 神崎さんが社長になったのは24歳の時。もともと家業を継ぐつもりはなく、長野のスキー場へ移住する予定だった。「ところが父が急に亡くなりましてね。会社に借金があって廃業できず、仕方なく後を継いだんです。初めは早く借金を返して、長野へ行くつもりでした(笑)。でも仕事って、どんな仕事でも一生懸命やると面白くなるもんなんですよ。ハウスメーカーの下請けをするうちに、物作りがどんどん楽しくなり、お客さまのために健康に住める家、丈夫な家、長持ちする家を建てたいという気持ちが強くなったんです」。

 そう語る神崎さんは理想の家を作るため下請けをやめ、注文建築事業をスタート。13年になる今も志は変わらないという。「家作りは家族の大きな幸せを作ること。これからも、そのお手伝いをしていきたいです」。

神崎 政昭(かんざき まさあき)
大学卒業後、サラリーマン生活を経てスキー場スタッフとして働く。ペンション経営に夢をふくらませるが、父の急逝により家業を継ぐことに。建材販売を足がかりに建設事業を拡大し、2000年、自然素材をふんだんに使った「神崎の家」を発表。健康を考える人はもちろん、デザイン性にこだわる人からも注目を集めている。
詳細はこちら! 有限会社神崎

創業から60年以上だそうですが、もともと会社ができた経緯を教えてください。
 うちはおじいちゃんが鳶だったんですけれど、僕の父がまだ子どもの時に亡くなりまして、鳶は廃業したんです。僕の父が7人兄弟の長男で、ちっちゃい弟妹がたくさんいましてね、母親つまり僕のおばあちゃんが生活のためにツテを頼って建材を販売する仕事を始めたんです。それが1953年です。
おばあちゃん大変でしたね!
 すごい大家族だったらしくて。あの頃は(出入りする)トラックの運転手さんとか皆一緒に朝昼晩うちで食事をしていたんで、いつも誰かが食卓を囲んでいました。僕が中学生の頃まではそういう環境でした。
その場所というのが、今も会社がある場所ですね。
 そうです、僕が30歳ごろに建て直したんですが、建て直す時に解体するじゃないですか。トタン板の家だったんですが、取り壊したらトタン板の下から、さらに焼けたトタン板が出てきたんです。それをまたはがすと、焼けた柱が出てくるんですよ。昔火事になったことがあるのかな?と思ったら、そうじゃなくて、戦争中に空襲で焼けた跡だったんです。このへん(山手界隈)もみんな焼け野原になって、そこから拾って来た資材で建てた家が50年以上残っていたんですね。昭和20年ごろから60年ごろまで、素人が建てた家がずっと残っていたという(笑)。
その後、おばあちゃんからお父様から経営を引き継がれたと。
  僕の父と母が二人で建材屋の店をやっていました。僕はいやだったんですけどね。子どものころから見ていて、一番いやだったのは休みがないことです。とにかく、まったく休みがない。職人さんは雨の日は休みになりますから、土日も仕事をするんですね。じゃあうちも雨の日は休みかっていうと、何かと電話がきたりして、ヒマではあるけれど休みじゃない。お盆とお正月しか休みがないんです。
 あと、建材って昔の3Kじゃないですけど、重くて汚れる商売なわけです。今はいいヤツらだと思うけど、きったない土方のおじさんが毎朝出入りする中を僕は学校へ行くわけです(笑)。「おう、行ってこいよ!」なんて声をかけられたり、頭なでられたりしてね(笑)。
 自分ちの生活ぶりをみていても貧乏だし、僕は(この商売は)イヤだなと思って、大学を出させてもらったので、跡は継がないでサラリーマンになりました。でも、なってみたらサラリーマンもつまらなかった。今にして思えば、ただの落ちこぼれなんですけど、単調な毎日が続くのがつまらなくて。職場が、自動車会社の下請け工場だったので余計にね。
 その会社も一年半ぐらいで辞めて、父が58歳で亡くなった時はスキー場で暮らしていたんですよ。24歳でした。
えっ!どうしてスキー場で?
 ただスキーがやりたかったから(笑)。会社を辞めた後に失業保険をもらいながら、知り合いのスキー場に転がり込んで、給料なしで働く代わりに居候させてもらっていました。掃除とか炊事、洗濯を全部やって、代わりに食事をさせてもらって寝かしてもらうと。
 スキー場の仕事は2シーズンやったんですが、徐々に拠点が出来てきまして。知り合った方の中に、借金をしてペンションを建てたものの辞めたくなっちゃった方がいて、僕が家賃を払ってその後やらせてもらう、という話もできていました。次のシーズンにはアルバイトじゃなくて、完全に長野に移住しようと決まっていた前の夏に、突然父が亡くなっちゃったんです。

母と妹が住む家を守るため、
父の急逝後、家業を継ぐことに

びっくりですよね……。
 びっくりはしたんですが、まあ亡くなっちゃったんだから仕方がない。会社はたたんで、自分は後腐れなくスキー場に行こうと思いました。すごく軽く考えていたんですが、実は会社にすごい借金があったんです。それで会社をたたむっていうと、住んでいた家も何もすべてなくなるという状況で、母親と当時高校生だった妹が困ると。24年間も育ててもらって、母親が住むところもないっていうのはね、さすがにないなと思いまして。いろいろと聞いたら、商売を続ければ家は取り上げられないと分かったんです。そういう、すごく消極的な理由で継がざるをえなくなったという(笑)。
じゃあ、初めは不本意だったんですね。
 自分としては早く借金を返して、めでたく廃業して、早く長野に戻らなくちゃと。廃業するために頑張る、みたいな(笑)。でも、気合いが入ったのが父のお葬式の時。僕は遊びほうけていて、会社を全然手伝っていなかったから、参列してくれた方は誰も僕の顔を知らないんです。だから、私の目の前で問屋さん同士が「どうする?今後も神崎建材に材料売る?」、「いやー、おやじさん亡くなって、息子は仕事なんかやる気ないらしいから、うちはもう売らないよ」なんてね、やりとりをしているんですよ。そんなのを聞いて、この言われようは納得いかんなと思って、がんばらなきゃと。
借金はびっくりするぐらいあったんですか?
 いや、そんな額じゃないんですけどね、売り上げもびっくりするぐらい低かったので(笑)。もし僕に経営のノウハウがあれば、すぐに諦めたと思いますが、知らないもんだから頑張っちゃった(笑)。
ただもうお母さんと妹さんの住むところを確保しなきゃと。
 はい。ちょうど第二次オイルショックからバブルにかけて日本の経済が上向いている時代だったので、仕事はいくらでもあったんですよ。社員は自分以外いないので人件費もかかりませんし、とにかく自分が寝ずに働けばいいと。ひたすらトラックで走り回って建材を売れば、売り上げがあがって借金が返せるわけです。
それが、あるところから仕事がどんどん面白くなってきたと?
 そうですね、借金は5、6年で返し終わりました。その時がすごく転機で、それまでは借金をなくそうっていうのが自分の目標だったわけです。だから借金なくなってよかった、と思う反面、目標を失うわけですよね。じゃあ、これからどうしようと考えた時に、その時には社員が数人いて、異業種交流会で他の経営者の先輩に話を聞く機会とかもあったんです。それで、会社として今後どうやっていこうか、という思いが少しずつ芽生え始めまして。そこで、それまでは建材の販売しかやっていなかったわけですが、頼まれていた建築の工事をやってみようと。その時に、物を作るという面白さに気づいたんです。できるとお客様も喜んでくれますし、自分の中では「作る」という仕事への思いが少しずつ強くなっていきました。

どんな仕事の中にも面白さはある
毎日1000袋のセメントを担いだ日々

借金を返した時は、長野に帰ろうという気持ちはなくなっていたと(笑)。
 そうです(笑)。ただね、仕事ってなんでも良かったのかなと思うんです。長野に行けば行ったで、スキー場で働くことが面白かったと思うし。ただ、何年か建設業に携わってからは、辞めるっていう気持ちは全くなくなっていました。いまもね、若い社員によく話すんですが、仕事の面白さってやっていくうちに出てくると思うんですよね。たとえば、トラックでセメントを配達していた時、セメントって当時1袋40kgもあるんですよ。他に社員がいない時は、自分一人で1000袋とか1500袋とか運んでいたんです。でも、その大変さの中にも面白さってあって、いかに早く積み降ろしするかとか効率よく運ぶかとか、工夫の仕方っていくらでもあるんですよね。仕事ってどんなところにも面白さを見つけられると思うし、僕は中でも建設業の面白さにハマっていきましたね。
当時、工事を注文してきたお客さんというのは、建材のお客さんですか?
 そうですね、その頃バブルに向かっている時代で、建設ラッシュでしたから職人さんが足りないんですね。それで、困ったお客さんがうちに相談してくるんです。「誰か人いない?」って。僕としては誰か職人を紹介すれば、その人を通じてうちの建材を買ってもらえていいかな、というぐらいの思いでした。うちのお客さんには工務店もあればゼネコンもあり、また左官屋さんやタイル屋さん、水道屋さんもいます。なので、ある現場で水道屋さんが足りないといわれれば紹介し、また別の現場でタイル屋さんが足りなければ紹介すると。初めは人を紹介することから始まったんですね。
 ただ、職人さんってシャイな人が多いので初対面同士だとうまくいかないこともあるんです。それで、トラブルがあると僕が現場に出向いて、「どうしたの?」と話を聞いたりして。だんだんと施工主からは「お前に発注するから、職人をまとめてくれ」と言われ、職人さんからも「間に入ってくれたほうが楽だ」と言われ、だんだん建設業へとシフトしていったんです。
当時は大手ハウスメーカーの下請けですか?
 そうです、大手ハウスメーカーや工務店の下請けで、本当に小さな仕事から始まって、そのうち一軒まるごと任せてもらえるようになりました。初めは子どもが積み木遊びをするのと同じで、何を作っていても面白かったんですが、何年もやると、だんだん物事の善し悪しがわかってくるんですね。そうすると「こんな材料は住む人のためにならない」とか「どうしてこんな材料で、こんなに高いんだろう」とか、いろんなことに気づきはじめたんです。
 そういう中で、建設の歴史を勉強してみたら、昔はゼネコンなんてなかったんですね。昔はそれぞれの町に棟梁がいて、資金計画から設計、職人さんの手配まで全て棟梁が一人で仕切って、建てた後までずーっと面倒をみるんです。その仕組みを崩していったのがハウスメーカー。ただ、ハウスメーカーも悪かったら伸びるわけないんでね。棟梁の悪いところは、「俺にまかせておけ!」なんです。笑い話みたいですけど、できあがって引っ越すまで自分の家の間取りを知らないとかね、とにかく一度棟梁に任せたら口を出しちゃいけなかったんです。
えー、そんな……。
 でも、それが普通だったんですよ。そこにハウスメーカーが登場して、モデルハウスを建てて、分かりやすく「こんな家が建ちますよ」というのを説明したんです。ただハウスメーカーは全国展開しますから、効率を求めるあまり材料はお客さんの健康や耐久性ということより、全国どこでも同じように建てられる家になってしまう。いわゆる新建材というものを使い、仕上げはビニールクロス、床は表面だけ加工、柱は集成材というふうになっていったわけです。その結果、出てきたのがシックハウス。本来、お客様のためを考えるなら、いい材料を吟味して無駄な費用をかけずに建てるのがいいと思うんです。ハウスメーカーのように住宅展示場やテレビコマーシャルにコストをかけなければ、コストを抑えていい家が建てられるんじゃないか、ということに何年かやっているうちに気づいて、我慢できなくなってきて。それで、今から13年前に「ハウスメーカーの下請けはもう辞めよう」と社内で話し合って、「これからはうちの名前で、家を作っていこう」と決めたんです。

石油化学製品を極力使わない家で
お客さまに健康に暮らしてほしい

その時は、初めから自然素材を使おうと。
 そうですね。お客さんのためになる家を作りたくて、ハウスメーカーの下請けを辞めたわけだから、1年以上かけて、どういう材料で建てていこうか考えました。注文住宅ですが、材料については自分たちが守るべきルールを決めようと。例えば、無垢の木で建てるとかサイディングやビニールクロスは使わないとかね。そういう物の良さを分かってくれる方と仕事をしようと。
それまでうまくいっていたハウスメーカーの仕事をスパッとやめるのは勇気がいると思うんですが、スムーズに移行できたんですか?
 全然スムーズじゃないです(笑)。僕、子どものころから「考えが足りない」って通信簿に書かれていたんですが(笑)、やってみないと問題点に気づかないタイプなんです。つまり家を作ることはできるものの、どうすればお客さんと出会えるか、どうしたら注文をもらえるか分からないまま、仕事を始めてしまったという。お菓子にしても、すごくおいしいお菓子を作っても、知ってもらわなければ売れないですよね。家もそれと同じで、初めは「神崎」という会社が作った家が世の中に一軒もないわけです。一軒も実績がない会社に注文住宅を頼む人がいるわけないという(笑)。
家づくりのノウハウはあるけれど、知られていないと。
 そうなんです。事業を始めた理想は高いけど、誰にも知られていない(笑)。それで、まず銀行から借り入れをしまして、土地を買って僕たちが理想とする家を建てたんですね。さらにチラシを作って自分でポスティングして、土日は自然素材の家の見学会をやりました。そうすると、見に来てくれる人がいて、少しずつ売れていったと。当時は自然素材の家は珍しかったので、その見学会に来てくれた方が、一年後、二年後に注文してくれたということもありました。
ある意味、モデルハウスとして作ったわけですよね。
 そうです。本業の建材の販売をやりながら、少しずつ家の注文も伸びていきました。
自然素材の家を建て始めて、もう13年になるわけですが、考え方が変わって来た部分はありますか?
 実は、家の建て方に関しては全く変わっていないと思いますね。ハード的なところでは、極力自然素材を使おうと。よくお客さんに100%自然素材ですか?と聞かれるんですが、100%自然素材では建築基準法や、住む上での快適性で問題があるんですね。ですので、接着剤やポリ合板など一部、自然素材でないものも使っています。ただ、僕らは石油化学製品をなるべく使わずに建てたいと。そうした中で、健康に住める家、丈夫な家、長持ちする家を建てたいというのは、まったく変わっていないですね。
 13年前に家を建て始めるにあたって勉強して、理想としてたどり着いたのは昔の日本の家です。江戸時代とかに建てた日本の家が、高温多湿で夏冬の温度差が大きい日本の風土にマッチしているなと。ただ当時の土壁だと30、40cm厚くしないと暑さ・寒さを遮れない。この狭い日本の国土で、そんな厚い壁を作っていたら住むところがなくなっちゃいますから(笑)、15cm程度で同じ機能を持たせる自然素材の断熱材を使っていこうと。風通しにしても、昔の家は障子を開け放って調節していたわけですが、今の時代、そんなことをしていたらプライバシーの面でも防犯の面でも問題ですよね。そこで、そういう昔の発想の良さを活かしながら、快適に暮らせる家を建てようと。そういう理想はずっと変わっていません。
デザイン的にも、神崎さんの家はシンプルさが逆に目を惹くというか、大きな特長ですよね。
 皆さんにそう言われます。家づくりというのは30年とか35年のローンを組んで、たいていの方は一生に一度だけですよね。「買い物」というよりは人生の一大イベントだと思うんです。だからこそ、本当に喜んでいただきたいですし、性能がいいだけじゃダメだと思うんです。見た目っていうと薄っぺらに聞こえるかもしれませんが、やっぱり大事なんですよね。例えばカメラにしても文房具にしても、いいものって機能もいいし見た目もカッコイイ。家も同じで、間取りも性能も大事だけど、外観も大事。うちの外観が特長的なのは、すごくシンプルだから。コテコテお化粧するのではなく、いかに削ぎ落してシンプルにしていくかを大切にしています。今流行っているものを付けすぎると、10年後、20年後に「ああ、昔流行った家だよね」って言われてしまいますから。フランク・ロイド・ライトの家じゃないですけど、時を超えて残る名建築は今でもカッコイイですよね。そういう家って、シンプルなんです。あと、シンプルに建てるメリットはコストを抑えられることですね。

お客様に喜んでもらえることが「楽しい」
その思いを全社員で共有したい

今後やっていきたいこと、お考えのビジョンなどはありますか?
 建設業の人ってみんな職人かたぎで、みんな自分なりの価値観とか思いで仕事をしているんですね。でもお客さんからすると、僕が説明したことと設計士や現場監督がやっていることに違いが出てしまって、不満やストレスになってしまったんです。
 それはまずいな、と思ったので、3、4年前から月に一度半日、仕事をしないで全社員が集まる時間を作っています。そこで話し合うのは、「お客さんに対してできることってなんだろう」とか「自分たちの価値ってなんだろう」ということ。今、一番考えているのは「もっともっとお客様の方向を向いて仕事しなきゃいけない」ということです。最初は子どもがプラモデルを作るみたいに建てているだけで楽しかったんですが、今はお客さんに喜んでもらえることが楽しい。「楽しい」の質がどんどん変わって来ているんですね。今は、その思いを会社全体で共有できるように、皆が同じ思いでお客様に向き合えるかを大事にしないとと思っています。それが今後、僕がやっていきたいことですね。
会社のスタッフが一枚岩になることで、お客様により良い対応ができると。
 (この試みを)やって気づいたんですが、社員同士が仲良くないとお客様にも親切にできないんですね(笑)。スタッフ同士がうまくいっていないと、現場でトラブルがあった時に、ともすれば人のせいにしがちになる。現場監督からすれば「複雑な設計をしすぎたからだ」となるし、設計からすれば「いや、現場監督のせいだろう」と。でも、みんなが「こういう家を建てよう」という思いを共有することで、ともに一生懸命頑張っていけると思うんです。一人一人がプロフェッショナルであることはもちろん大切ですが、チームワークができていないとお客様に対して良いものが提供できないですから。
 「お客様はどうして家を建てるんだろう」といろんな思いを突き詰めて考えていくと、最終的にたどり着いたのは「家族で幸せに暮らすために家を建てるんだ」ということ。「玄関に明かりがともっているとホッとする」というお話を聞くと、そうか僕らは家を建てるだけじゃなくて、お客様の幸せを作っているんだと感じますね。
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柱・梁など構造材に国産無垢材を使うのが神崎さんのこだわり。他にも、石油製品は極力使わず、心地よい空間作りを追求している。
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家作りの相談に際しては、分かりやすく説明するため1棟1棟模型を作る。住まいが完成した後は、記念にプレゼントすることも。
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間伐材で作った小さなおうち。冊子(下写真)の表紙に押されているスタンプは、このオブジェにインクをつけてペタンとしたもの。
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社内で共有したい理念をまとめた冊子。いい家を建てたい、社員に楽しく働いてほしいetc、神崎さんの思いがあふれている。

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