mirea 街を彩る ヒト・モノ・コトをつなぐ[ミレア]

詩人の魂の言葉を伝える人●編集者 里舘勇治さん

編集や装丁は
作品の世界を伝える手段

 「胞子文学名作選」。風変わりなそのタイトルと洒落た装丁に惹かれ、手にとった一冊のアンソロジー。ページを開いて驚いた。作品ごとに紙の種類や色が異なり、中には活版印刷のページもある。スゴイ、スゴイゾ、コノ斬新サ。どんな人が作ったのだろうかと、矢も盾もたまらず鎌倉の出版社「港の人」に向かった。

 迎えてくださった代表の里舘勇治さんは、本の編集に携わって28年になるベテラン。装丁や編集へのこだわりについて「僕は、著者の言葉を読者に伝えるスピーカーのようなもの。作品の世界を気持ちよく伝えるため、どう編集するかを大切にしています」と語る。

 また、里舘さんは戦後詩を代表する詩人の一人、北村太郎さんと生前親交が深く、社名「港の人」も代表作からとったものだ。「北村さんは私の父より年上ですが、上から目線で話すこともなく、すごく優しい方でした。今、こうして出版社をやっていますので、私も若い詩人の方を応援していけたらいいなと思っています」。

里舘 勇治(さとだて ゆうじ)
フリーランスの編集・ライターを経て、30歳の時、出版社に入社。学術書の出版を通じて、本作りのノウハウを体得する。その後、40歳で同僚らと共に鎌倉にて出版社「港の人」を立ち上げた。現在は、学術書のほか、詩集や歌集など文芸書を数多く出版。個性が光る編集者として多方面から注目を集めている。

詳細はこちら! 出版社「港の人」

まずは「港の人」を立ち上げた経緯を教えてください。
 前は学術書の出版社にいたんです。30歳でその出版社に入る前は、フリーで編集やライターをしていました。40歳になるまでその会社にいたんですが、若手の営業二人に独立しないかと誘われまして。その当時、すでに鎌倉に住んでいましたので、鎌倉で「港の人」を立ち上げました。それが1997年の4月です。今から16年前ですね。
20代のころは、どういったジャンルのお仕事をされていたんですか?
 演劇をやっていて、研究所にも少し入っていたんです。そのうちに結婚して、芝居では食べていけないので、フリーランスでライターや編集をしていました。二人目が生まれた時に年貢の納め時といいますか(笑)、出版社に就職しようと。
30歳でちょうどいい区切りだしと。
 そうなんです。周りからの要望もあり(笑)。そこで本の作り方を覚えまして、10年間在籍していました。で、たまたま40歳の時に後輩に声をかけられて、独立したと。起業するなら、若いうちにやったほうが体力的にも気力的にもいいだろうということで、決断したんです。
ご自分の中では、あまり独立したいとは思っていなかった?
 正直そんなに思っていなかったんです。彼ら二人が声かけてくれたから出来た。感謝していますよ。小さな会社は軌道にのるまで大変ですしね。彼らとは、立ち上げから7年目までは一緒にやっていたんですが、出版業界は不況ですし、7年経った時に改めて話し合いをしました。彼らはまだ20代終わりごろでしたので、若いほうがやり直しもきくし、就職するチャンスが多くあります。食えないままズルズルやっていくより、もう一度これからのじぶんたちの人生を考えてみたほうがいいのではないかと。それで二人は退社して、僕一人で続けてきたんです。彼らとのつきあいは今でもあって、年に何回か飲みにいきますし、関係が続いているのはよかったなと思います。
山あり谷ありで。
 そうです、山あり谷ありですよ(笑)。小さな出版社というのはヒットを飛ばせばいいですけれど、なかなか難しいといいますかね。僕、よかったなと思っているのは、うちの会社は一般書と学術書を出していまして、それぞれ販路が違うんですね。いわゆる学術書は、主に大学図書館とか大学の研究室に営業して、本の注文を取るんですよ。つまり学術書の場合、ある程度、読者が特定されているわけですし、発行部数も限られるけど、有用な本はご購入いただけます。逆に一般書は書店に置いて、不特定多数の読者の方に読んでもらうわけです。2つの販路をもってきたことで経営が成り立っているというか、独自のカラーを打ち出すことに成功していると思います。
学術書の先生方との繋がりは、出版社時代に培ったものですか?
 いえ。うちは本を作ることによって認められていったというか。やっぱり中身がしっかりしていないと、どこでも認められないわけです。私の手から離れて、本が会社の顔になるわけですよね。その本を利用していただいた先生から「しっかりした本だな」、「しっかりした会社だな」と認めてもらえれば、「今度、私の本を出しませんか」と声をかけてもらえるわけです。そこからは先生との信頼関係ですよね。
日本語学とか児童文化とかの学術書には、もともと興味がおありだったのでしょうか?
 はい。言葉を扱っている学問ですから、もともと興味がありました。私のところはスタッフ二人でやっているので出す数も限られますし、学術書は編集に時間がかかります。それでもじっくり構えて、1点ずつ出すことの積み重ねで認めてもらえるようになりました。
日本語学の中で特に興味のある分野は?
 僕は近代語ですね。幕末・維新期に、西洋から外国語や西洋文明が入って来て、日本語が大きく変わっていった時期があるわけです。外国語を訳して定着させていかないと、一般の人びとに西洋の文化や社会のことが広がっていかない。その時、言葉がダイナミックに変わっていくわけですよ。ところで近代語って、実は室町時代末ごろから始まっているんです。それ以降の言語は、現代の私たちがしゃべっている話し言葉にかなり近く、狂言の言葉など今の関西方言に極めて近いといわれているんです。
続いて、詩・日本文学の出版についてお伺いしたいのですが。
 僕は詩が好きでありまして、そういうものを手がけていけたらいいな、というのは当初から思っていました。
詩人の北村太郎さん※と親交が深かったそうですね。
 もともとは友達の紹介です。私が25歳ぐらいの時、横浜に住んでいまして、北村さんも横浜にお住まいだったんです。山元町のアパートに北村さんはお住まいで、私たち家族は柏葉に住んでいました。北村さんは大病をされた後、お一人でお住まいだったので、「私たちと一緒に暮らしませんか」ということで、うちの近くに引っ越してこられて、夕飯とかは僕の家でご一緒に食べたりしていました。それはすごく楽しい時間で、キャッキャッいいながら過ごした思い出があります。
年齢は結構離れていますよね。
 そうです、もう僕のオヤジより上ですね。北村さんは大正生まれの方ですし。でもね、ざっくばらんというか、すごく清々しい方なんですよ。上から目線で話すようなこともなかったし、ケラケラ楽しそうに笑ってね。猫がお好きだったので、そういう話もしました。自由でね、ズタ袋一つもってプラプラしているような人でね、今はああいう方はいないですね。翻訳もたくさんされていて、知識人でいろいろ教えてもらったんですが、そういうことよりもいつもニコニコしていて、会っていて話していて楽しい方だったですね。
 僕らに接する時は、詩人というより市井の人だけど、やっぱり詩人なんだなというのは話していると感じました。知識が豊富なので、「これはこういうことだよ」と教えてくださいますし。北村さんはベイスターズの大ファンだったので試合を見に行ったり、中華街でご飯を食べたり、お気に入りの喫茶店にご一緒させていただいたり。教えていただいたことがたくさんあって、本当に感謝しているんです。その当時は、僕も出版社をやるとか全く考えていなかったわけですが、今、こういう形でやらせてもらっているので、若い詩人の方を応援というか一緒に考えていけたらいいなと。次の世代に何かを手渡していけたらいいなと思っているんですけどね。
ご自身の中で、詩人になりたいという思いは?
 ないですね。詩人になる人は生まれついて詩人になる人なんです。それはハッキリしている。才能がいつ開花するかはわかりませんよ、50になってから開花する人もいるかもしれないし、若い感受性豊かな時に作品を作っていくのがいいのかもしれないし。それは詩人の心のタイミングですよね。
確かに、柴田トヨさんのように100歳近くなってから詩集を出す方もいらっしゃいますし。
一言で詩人といっても、いろんな方がいらっしゃいますよね。
 詩というのは、魂のことを直接的に書いてあるわけですよ。凝縮して1行の言葉、フレーズになっている。小説も、心や魂の問題を扱っているかもしれませんが、一つの物語がないと展開していかないでしょう。詩はその点、短い言葉に凝縮されている。こもっているというか。
自分の心情を言い表す言葉をいかに見つけるか、ということでしょうか。
 これはね、北村さんがおっしゃっていたんですが、「良い詩は生活の中からしか生まれない」というんです。私たち、日々生活していますでしょ、詩はその中でしか生まれてこない。それは良い経験を積みなさいってことなの。それがないと、良い詩は生まれてこないよと。突拍子もないことをしたから詩が生まれるわけじゃないんです。地道に生活しながら、たとえばね毎日ご飯を作って食べたり、本を読んだり。
 ただ、何を読むか、見るか、感じるかによって生まれるものは全然違ってきますよ。青い空をみれば、それだけでインスピレーションを受けることもわけでしょ。詩の心が降りてくることもあるわけです。つまり、穏やかな日常の中から何を発見するかですよね。詩は感情では書けないから、感性を大事にしたほうがいいと思いますね。自分の言葉と出会うというか。何を見て何を感じるかが大切だと思います。それから、たくさん書くうちに言葉が選ばれてきますから、その中から自分の願いというか祈りが見いだされてくることもあると思います。
若い詩人の方が作品を持ち込まれることもあるのでしょうか?
 ありますよ。ここの会社がどういう書物を作っている、という発信をしているから、向こうからもアクセスがあるわけです。
たとえば、堂園昌彦さんの歌集『やがて秋茄子へと至る』は今、話題ですけれども、堂園さんの作品をご覧になった時は何か感じるものがありましたか?
 彼の感性で書かれた歌ですよね。表現をうまくまとめているっていうか、なかなかここまで言葉を編み出すことはできないなと思いました。彼から原稿をいただいて、私のほうで編集というか本を設計していくわけですよね。そこは、僕がこの歌から受けるイメージを形にしていくわけです。うちは、表紙まわりの装丁はデザイナーに任せますが、最近では中身の本文組の設計は僕がやります。この歌集は活版印刷で作っていますから、印刷所に持ち込んで、活字をひろってもらって……という作業をやるわけです。『やがて秋茄子へと至る』の場合、編集の上では1頁に1首にしてほしいというのは著者からの希望でした。で、僕がなにをしたかというと、ノンブル(頁)を漢数字にしたんですよ。
あ!本当だ!
 普通だったら洋数字でしょ。でも、漢数字にすることで全体が引き締まっているんです。ここまで気づく人はいないでしょうが、こだわりですね。作る時にね、初めは洋数字も入れてみたんですよ。でも、合わないんです、全体を見た時に。で、漢数字にした時にすごく落ち着いたんです。それで、僕が編集をする限り、これは漢数字が正解だろうなと。ほかの編集者だったら、また違う感じ方もあるんでしょうけどね。
本を作る方って、やはり独自の美的センスが大事なんですね。
 そうですよね。
ページをどう作るか、任されているんですものね。
 ただ、できあがった本を見る人がいて、もちろん著者もいるわけですよ。著者が気に入らなかったら、だめですから。僕は読者のことを考えつつ、著者の言葉を伝える一つの媒介であるわけじゃないですか。ですから、僕だけが頭を抱えてやるわけでなく、読者に気持ちよく作品の世界を伝えることを大切にしています。言ってみれば、本の中に一つのリズムがあるわけです。僕がスピーカーとして、あまり音痴にならないように著者の声を伝えていこうと。特に詩集の場合は、そういうことが大切です。詩のフレーズの行間にも著者の思いが入っているわけですから、そういうところは大切にしていかないと思っています。
装丁もすごく凝っていますが、これも里舘さんのアイデアですか?
 いや、これはねデザイナーのアイデアです。僕のイメージを伝えて、もちろん著者の希望もあるので、デザイナーがそこを全部取り込んで、彼の中で媒介してデザインしていくということです。この『やがて秋茄子へと至る』はね、すごく紙が柔らかいでしょ。これもデザイナーのこだわり。それから、フランス装っていうんですけど、柔らかいけどソフトカバーじゃないんです。普通だったら見返しは表紙に貼り付いているでしょ、フランス装の場合は貼り付けないんです。
 あとね、この歌集の歌はわりと抽象的なものが多いので、著者の希望もあって表紙には具象を意味する葉っぱのイラストを持ってきました。表紙も抽象的だと、全体がボヤケた感じになってしまいますから。
一冊の本に、たくさんのこだわりが詰まっているのが「港の人」らしさなんですね。
最後になりますが、今後、出していきたい作品や目指すところを教えてください。
 詩集や歌集は出していきたいなと思っていますね。次もまた、驚くような企画を考えていますが、まだ今は秘密です(笑)。あと、活版印刷。やっぱり出版文化を長年支えてきたのは活版です。活版からオフセット印刷に変わり、さらに今は電子書籍も出回っていますが、変わらず活版に対する愛着はあります。活字は独特の表情、味わいを持っていますから、そこのところは大事にしていきたい。まだ都内でも活版印刷をやっている印刷所もありますから、そういうところにお願いしながら、出版文化を少しでも素敵なものにしていきたいなと。微力ではありますけれどね。
※ )北村太郎氏 1922年生まれ。1951年、田村隆一、鮎川信夫らと戦後詩の出発点となった「荒地」を創刊。言葉の革新に果敢に取り組み、最晩年まで新たな表現を絶えず求め続けた。83年「犬の時代」で芸術選奨文部大臣賞、89年「港の人」で読売文学賞を受賞。英米のミステリーの翻訳も多く手がけた。

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社名の由来となった北村太郎氏の「港の人」。大切な詩集の表紙をそっと開くと、里舘さんに向けた自筆の署名が入っていた。
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知人から譲り受け、長年愛用しているセーラーの万年筆。普段はパソコンを使うことも多いが、大切な手紙を書く時はこの1本の出番だ。
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読書界初の「きのこ文学」アンソロジーとして話題を呼んだ「きのこ文学名作選」(左)に続き、昨年秋刊行された「胞子文学名作選」
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オフィスの棚にずらりと並んだ出版物。詩集・歌集などのほか、研究者に向けた日本語学の学術書も多数手がけている

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